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中島みゆきのこと① by Shimojo

中島みゆきのこと① by Shimojo

中島みゆきのこと①
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中島みゆきの歌の存在感
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ある日、赤城山のすそ野の農産物直売所の有線放送で「アザミ嬢のララバイ」が流れ出した
思わずたちつくして彼女のうたにつつまれた
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なつかしい感情ではない
彼女のデビュー曲で、もう、半世紀も前のうたなのに
たった今、うまれ、うたわれているひびきに感じられる
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これと似たような感じの曲がある
たとえば、モーツアルトの「トルコ行進曲」

200年以上も前に作曲されて、演奏された回数は途方もないのに
これまで、どこにも、存在しないメロディーがたった今生まれて、鳴り響いているように感じられる
だから、「トルコ行進曲」は、いつまでも新しい

(わたしは、この曲は、作られたのではなく、モーツアルトを通じてこの世に生まれてきたのだと思っている)
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そういえば、新型コロナウイルスの感染拡大での「非常事態宣言」が出されたときよく流れた歌がある
それは彼女の「時代」という歌
もう、45年も前の歌なのに
今という、とき(時代)に、再び生まれて鳴り響く
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この曲も、そう、たった今、うまれたように鳴り響く
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(驚くべきことに、この「時代」という曲は、彼女が18歳のときに作詞作曲した「うた」という説がある)
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この「時代」という「うた」は、彼女が23歳のとき、「第6回世界歌謡祭」でうたい、グランプリを受賞した「うた」
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でも、
ここには、ものすごい、ドラマがかくされていた
1975年9月16日、彼女の父親は脳溢血でたおれ、病院に運ばれ睡状態なる(父親はこのときまだ51歳だった)
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彼女のデビューシングル「アザミ嬢のララバイ」が9日後の1975年9月25日にリリースされる予定だった
そして、リリースされた、ジャケット写真が間に合わないまま
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1975年10月には「第10回ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)」に出場した
父親の意識は戻らないまま
中島みゆきは病室から会場へ向かったそうだ
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そこで披露されたのが「時代」 
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当初は別の曲を歌う予定でだったが、急きょこの「時代」に変更したと言われている
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父親が昏睡状態で意識が戻らない(もしかしたら、永遠に戻らないかもしれない)
こんなとき、彼女に歌える「うた」があるだろうか
普通の「うた」は、おそらく歌えなかっただろう
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このとき、彼女には自分で作詞作曲した「もちうた」が130曲があったという
その中に彼女が以前つくった「うた」があった
それが、「時代」
この「うた」が唯一、今の彼女に歌える「うた」だったのだろう
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それは、悲しみのどん底から、叫ぶようにはじまる
「今はこんなに悲しくて」
「涙もかれはてて」
「もう、二度と笑顔にはなれそうもないけど」
と、こころの底からの悲しみを空中へ震わせてはじまる
(このとき、彼女の精神状態はどんなだっただろう)
(ほんとうの彼女のこころの叫びだったに違いない)
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やがて、
メジャーの和音が静かに鳴り始め
「そんな時代もあったねと」
「いつか話せる日がくるわ」
「あんな時代もあったねと」
「きっと笑って話せるわ」
「だから今日はくよくよしないで」
「今日の風に吹かれましょう」
そして、
「まわるまわるよ時代はまわる」
「わかれと出会いをくりかえし」
「今日はわかれた恋人たちも」
「生まれかわってめぐりあうよ」
でしめくくられる。
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どん底の悲しみから、
未来の光をこころにあてて
現在を受け入れ、未来へ向かって生きてゆく
そして、
輪廻転生の世界に希望の光をみつける「うた」
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彼女は、「第10回ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)」でグランプリを獲得する
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そして、
「時代」を熱唱し、「第6回世界歌謡祭」でグランプリを受賞したのは、1975年11月16日
そして、父親は1976年1月に亡くなってしまう
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中島みゆきを通じて、うまれてきた歌が、半世紀後の日本で、今、鳴り響いている
つくったうたではない
うまれた「うた」だ
永遠に新鮮に鳴り響くうた
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「時代」は、日本の歌百選にも選ばれ、教科書にものっているそうだ
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そう、今は日本が、世界が「新型コロナ・ウイルス」にひっかきまわされている「時代」
でも、
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「そんな時代もあったねと」
「いつか話せる日がくるわ」
「あんな時代もあったねと」
「きっと笑える日が来るわ」
「だから今日はくよくよしないで」
「今日の風に吹かれましょう」

 

さて、ここから先は、あるブログの引用になります。
突然、八神純子が登場します。ここにもう一つのかくれたドラマがあります。
(わたしは彼女の「みずいろの雨」が大好きです、他のうたはあまりしらないけど)
中島みゆきと八神純子は、中島みゆきが「第6回世界歌謡祭」で「時代」をうたってグランプリを獲得したときのライバルどうしだったそうだ。
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ここからは、【tet1959のブログ】からの引用です。

https://ameblo.jp/et5652/entry-11872556555.html
興味のある方は、どうぞ。
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【八神は1975年5月の第9回ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)で、中島と初めて顔を合わせた。このときは、八神が「幸せの国へ」でグランプリに次ぐ優秀曲賞を受賞。一方、中島の「傷ついた翼」は入賞どまりだった。同年11月の第6回世界歌謡祭は、中島が「時代」でグランプリを獲得、八神の「幸せの国へ」は歌唱賞どまりだった。2人はその頃からライバル関係にあったわけだが、八神の「時代」に対する第一印象は芳しくなかった。
「まず『時代』という仰々しいタイトルがとっつきにくいなと思った。それに当時プロミュージシャンになるための登竜門だった『ポプコン』や『世界歌謡祭』でグランプリを獲るために狙って書いたような曲に見えてしまって、どうにも好きになれませんでした」
八神にとって「時代」は長年、憎しみの対象でしかなかった。第6回世界歌謡祭でグランプリを獲るつもりでいたのに、「時代」に阻止されたからだ。NHK「SONGS『時代』~中島みゆき~」(2013年4月6日放送)では、次のように語っている。
「(世界歌謡祭の終了後は)ホテルに帰ってベッドの上で泣いたような記憶があります。そのうち寝てしまい、起きたらカーテンの隙間から朝日が見えていました。グランプリを獲ることが、私にとってのゴールだったんです。その後のプロとしての生活とか夢というのは関係ありませんでした。『(会場の)武道館でグランプリを獲る』、それだけが私のゴールだったんです。それがあの『時代』によって壊されてしまった。自分にとっては苦い思い出のある曲だったんです。曲を聴くたびに『ああ、あの時は』なんて思い出して…」(要約)
八神は1986年2月、英国人音楽プロデューサーのジョン・スタンレーと結婚し、生活の拠点を米国に移した。ただ、1990年代は毎年のように一時帰国し、ライブ活動を行っていた。2000年代はその活動を休止し、半ば引退したような形になった。
2011年3月に東日本大震災が起こると、八神はすぐさま帰国し、何かに突き動かされるように被災地回りを始めた。そのとき「時代」という歌の持つパワーに気づいた。週刊現代では、こんな話をしている。
「被災地を訪ねる中で、ある町長の『中島みゆきの時代が聴きたいな、来てくれないかな』という言葉を人づてに聞いたのがきっかけです。それならば私が歌わせてもらおうかなと(笑)。私、カラオケを持って被災地を回っていましたから」
「被災地でコンサートをするうちに、『時代』という曲の持つ力を痛感するようになりました。コンサートというのは毎回雰囲気が違うもので、みんなとうまくつながることができないなと感じる瞬間もある。でも、そういうときに『時代』を歌うと、すぐに聴く人と一緒になれるんです」
八神は中島の代わりに被災地で「時代」を歌うようになった。あれだけ憎んでいた曲だったが、被災者のためと割り切った。そのうちに歌い慣れて、憎しみが消えた。今はむしろ、自分から積極的に歌っている。】
(引用おわり)